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六九  イエズスさまはよい盗賊の罪を赦し、十字架の上で亡くなられた



 十字架のまわりに立って、イエズスさまがお苦しみになるのを見ていた大祭司やユダヤ人たちは、口ぎたなくののしりあざけり、「おまえが神の子だと言うなら、いまここで十字架からおりてみろ」などと言っていました。

 一人の盗賊も、十字架の上からイエズスさまをののしって、「おまえがキリストなら、自分もおれも助けろ」と言いました。すると、もう一人のよい盗賊は、「私たちは、罪の当然な報いを受けているのだから、こんな罰を受けるのはあたりまえだ。けれども、このかたは、何も悪いことをしていないじゃないか」とたしなめ、イエズスさまのほうを向いて、「主よ、どうぞみ国においでになったら、私のことを思い出してください」と願いました。イエズスさまは、「きょう、おまえは私といっしょに楽園にいる」とおっしゃいました。

 やがて、昼間だというのに、太陽が突然くらくなりました。午後の三時ごろ、イエズスさまは、声をあげて、「父よ。私の霊をみ手におまかせいたします」とおっしゃり、それから首をたれて、息絶えられました。

 この時、地震が起こって岩が割れ、方々の墓が開かれました。神殿の幕はまんなかで、上から下までまっぷたつに裂けました。このありさまを目の前に見ていた兵士たちの頭百夫長は、恐れおののいて、「まことにこのかたは神のおん子だったのだ」と言いました。この光景を見て集まっていた群衆も、いまさらのように後悔して、胸を打ちながら帰って行きました。


一 イエズスさまは、私たちすべての人間を愛されて、そのために十字架につけられてなくなられました。御ミサの時には、同じ十字架のいけにえがおこなわれるのですから、とくにこの事に感謝しなければなりません。また、十字架のご像やご絵を見るときは、いつもこの事を思わなければなりません。


二 聖金曜日には、イエズスさまのなくなられたことを思い起こして、大斉と小斉を守ります。大斉とは一日一度だけ十分に食事をすることです。小斉とは、鳥やけものの肉を食べないことです。また、毎月の第一金曜日は、特に聖心の信心日として、イエズスさまのみこころのおん愛を記念します。


三 金曜日の祈り (十字架の道行きの各留の前でとなえる。)

 
「ああキリストよ。主は十字架をもって世をあがないたまいしにより、われら主を礼拝し、主を賛美したてまつる。」



四 罪を犯したと思ったら、痛悔の心を起こし、十字架の前で「主イエズス。哀れみたまえ」と祈りなさい。


 ロザリオ 苦しみの玄義 第五玄義

 
この一連を献げて、イエズスさまが十字架にくぎづけにされて亡くなられたことを思い、聖母のおん取り次ぎで、私たちのたすかりをお願いいたしましょう。



一 イエズスさまは十字架の上で、三時間も、人々にののしられあざけられながら、ひどい苦しみをお受けになったのち、亡くなられて、私たちの救いをなしとげてくださいました。

 罪はこれほどおそろしいものでした。私たちは、これほどにして罪を償ってくださったイエズスさまにこたえて、どんな小さい罪でも、みなさけるように決心しましょう。



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